大河ドラマ「青天を衝け」の主人公である渋沢栄一が、女好きで妾や愛人が多くいたことをご存知でしょうか?財界で活躍した偉人であることから、注目している人もいるようですね。
そこで今回は「渋沢栄一の愛人エピソード」や、女好きで子供な何人だったのかを調査しましたので、皆さんにご紹介していきます。
渋沢栄一の愛人エピソード
渋沢栄一には、正妻や妾以外にも愛人が多くいたことを知っていますか?女性がらみで起きたエピソードを探ってみましょう。「新撰組の女性に手を出す」や「ヨーロッパで女性に手を出す」について紹介します。
新撰組の女性に手を出す
新撰組の女性に手を出すことは、渋沢栄一の愛人エピソードです。女性に対して見境のない渋沢栄一は、京都滞在中に新選組の隊士の女性に手を出し、トラブルになっています。女性に手を出された新選組隊士は激怒し、仲間を連れて渋沢家を襲撃しました。
渋沢栄一は話し合いで解決しようと奮闘し、なんとか問題を処理することができたそうです。
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ヨーロッパで女性に手を出す
渋沢栄一の愛人エピソードの1つとして、ヨーロッパで女性に手を出したことが挙げられます。1866年に幕臣としてヨーロッパへ渡航し、進んだ文明を視察していた傍ら女性に声をかける渋沢栄一。2人の出会いは何かの縁であり、両国の関係を親密なものにするため、公務後に日本へ来るよう誘います。
女性は嘘もある程度までは許せるが、大嘘は人を怒らせるどころか笑えると伝えたようです。自身が日本へ行くと、渋沢栄一が困ることを理由に誘いを断ったとされています。結果的に、女性が日本へ来ることはなかったようです。
渋沢栄一は女好きで子供は何人?
渋沢栄一は女好きで子供は何人?に関する内容は、以下のとおりです。
- 後妻・伊藤兼子との間に2男2女
- 妾・大内くにとの間に2人の娘
- 妾・鈴木かめの子供は第一銀行頭取の長谷川重三郎
女性好きな渋沢栄一の子供の人数について紹介するので、参考にしてください。
後妻・伊藤兼子との間に2男2女
後妻・伊藤兼子との間に2男2女を儲けたことは、渋沢栄一の子供の人数の一部です。渋沢栄一の前妻・尾高千代が亡くなり、1883年に後妻として迎えられたのが伊藤兼子。豪商・伊藤八兵衛の娘で為替取引の失敗で没落したことにより、芸者の仕事を探している際に渋沢栄一と出会ったようです。
兼子が渋沢栄一の屋敷に招かれた際、自身が過去に生活していた場所だったことに妙な縁を感じた可能性があります。
妾・大内くにとの間に2人の娘
渋沢栄一・子供の人数の一部は、妾・大内くにとの間に2人の娘を儲けたことです。渋沢栄一は出張先の大阪でくにと出会い、子を宿したことが発覚して正妻の尾高千代に事実を告白しました。
身寄りのないくにを心配する栄一の姿を見た千代は、娘2人も一緒に同居することを許可します。渋沢栄一は東京へ戻るときにくにと娘2人を連れ帰り、自宅に住まわせたそうです。
妾・鈴木かめの子供は第一銀行頭取の長谷川重三郎
妾・鈴木かめの息子は第一銀行頭取の長谷川重三郎であり、渋沢栄一・子供の人数の一部と言えます。鈴木かめは吉原仲ノ町の林家の芸妓「小亀」であり、渋沢栄一との間に授かった長谷川重三郎は庶子として認められました。
渋沢栄一が創業した第一銀行に入った長谷川重三郎は、非常に大きな影響力を持ったため、頭取になっています。渋沢栄一が68歳のときの子供とされており、本人の資質もありますが親の力は絶大です。
渋沢栄一と愛人の子供の人数は50人の説もありますが、情報の信憑性は定かではありません。
まとめ
今回の記事では「渋沢栄一の愛人エピソード」を中心に、女好きで子供な何人だったのかをご紹介させて頂きましたがいかがでしたでしょうか?
女性に対して見境なしに手を出す渋沢栄一に驚きましたが、子供の人数は50人との説もあるようですね。渋沢栄一の子供の人数を参考に、愛人やエピソードについて触れてみましょう!