伊達政宗の死因や亡くなった場所は?現在も活躍する子孫についても

伊達政宗の死因や亡くなった場所は?現在も活躍する子孫についても

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幼少期の病気(天然痘)により右目を失明し、その後「独眼竜」の異名で知られることとなった仙台藩(62万石)第17代目藩主、伊達政宗。「伊達男」という言葉の語源にもなったとされる派手で粋なスタイルを身にまとい、戦国時代から江戸時代初期という乱世の時代を圧倒的なカリスマ性で走り抜けました。豊臣秀吉や徳川家康らと天下取りの覇権争いをしながら、波乱万丈な人生を歩んだ伊達政宗ですが、死因については、あまり知られていないようです。そのため、伊達政宗の死因については、当時の記録を元に、現代の医学的見地からさまざまな議論がなされています。

そこで今回は、伊達政宗の死因について、息を引き取った場所や当時の状況、さらには現代まで続く伊達家のご子孫の方々の活躍ぶりについて徹底解説します。

目次

伊達政宗の死因

戦国時代から江戸時代を疾風のごとく駆け抜けた猛将伊達政宗も、寄る年波には勝てませんでした。そこで、まずは、歴史上の記録から伊達政宗の死因の真相に迫りましょう。

公式記録に残る死因

伊達政宗が亡くなったのは今から約400年ほど前の寛永13年(1636年)、享年70歳でした。当時の公式な記録や家臣たちの記述を総合すると、伊達政宗の死因は「食道がん」または「胃がん」による病死であったようだというのが通説になっています。亡くなる数年前から食欲不振や嚥下困難(物が飲み込みにくい症状)を訴えており、最期の方は水さえも通らない状態だったと伝えられています。

当時の医療技術では不治の病だった癌ですが、伊達政宗は武士としての気概を失うことなく病と向き合っていたようです。

病気説や諸説の存在

公式な癌説のほかにも、癌性腹膜炎を併発していたという説もあります。政宗の遺体を医学的に調査した記録によれば、腹部に大きな腫瘍があったことが判明しており、これが致命傷となったのは間違いないようです。また、歴史ファンの間では時の権力者による「毒殺説」なども囁かれることがあります。ですが、徳川家3代目将軍徳川家光と伊達政宗の関係は、家光が政宗を「親父殿」と呼ぶなど親子のような良好な関係が現在まで伝わっており、伊達政宗を毒殺する動機は見つからないようです。また、病状の経過なども非常に詳細に残っていることから、現在では病死説が最も有力とされています。

伊達政宗が逝去した地

伊達政宗といえば東北・仙台のイメージが強いですが、伊達政宗が最期を迎えたのは仙台ではなく意外な場所でした。

亡くなった場所

伊達政宗が亡くなった場所は、現在の東京都千代田区、江戸城外堀付近(現在の日比谷公園周辺)にあった「伊達藩江戸上屋敷」です。当時は1年ごとに江戸と自領を行き来する参勤交代の制度があったため、伊達政宗も病床に伏せながら江戸に滞在していました。そして、迫り来る死期を悟った伊達政宗でしたが、体調が極端に悪化しているにも関わらず、三代将軍・徳川家光が見舞いに訪れるほど厚遇されていました。

そして、寛永13年(1636年)5月24日午前6時頃、愛する仙台の地へ帰ることなく、伊達政宗は日本の中心地であった伊達藩江戸屋敷にて、戦国時代から続いた70年の波乱に満ちた生涯を閉じたのでした。

当時の状況や背景

伊達政宗の死が近づいた際、江戸の伊達屋敷には多くの幕府重臣や医師が集まりました。家光は政宗を「親父殿」と呼んで慕っていたため、伊達政宗の死を非常に惜しみ、江戸中が喪に服したと言われています。また、死の間際、伊達政宗は家臣たちに対し「自分の死後、殉死(主君の死去に伴い家臣が切腹などで自害する武士の風習)してはならぬ」と厳命したというエピソードもあり、部下や民を大事に想う伊達政宗らしい最期だったと言われています。

伊達政宗の後世の子孫

伊達政宗の血脈は、途絶えることなく現代へと引き継がれています。最後に、現在の伊達家がどのようになっているのか伊達家の子孫について見ていきましょう。

伊達政宗の直系子孫の現在

伊達政宗の流れをくむ伊達家の正嫡(跡取り)は、今も「仙台伊達家」として続いており、現在のご当主は第34代目の伊達泰宗氏です。伊達泰宗氏は、伊達家の歴史資料の保存や管理を行うとともに、仙台市を中心とした文化活動にも深く関わっています。伊達政宗公が築いた仙台の街を守りながら、その精神を後世に伝えるためのシンボル的な存在として、仙台市民から非常に敬愛されておられます。

社会で活躍する人物

伊達家の血を引くご子孫方は、家元や文化人としてだけでなく、ビジネスや学問などあらゆる分野でご活躍されています。また、分家やゆかりのある子孫の方々も全国におられます。

例えば、伊達政宗の弟の血を受け継ぐ大篠(おおえだ)家の子孫として有名な、お笑いコンビ・サンドイッチマンの伊達みきおさんのように、メディアに登場して政宗公のエピソードを語る方もいらっしゃいます。また、2018年のミス・ワールド日本代表になった伊達佳内子さんなど国際的な舞台でご活躍されている方もいらっしゃいます。

驚くべきことに、政宗公のDNAが現代の科学的調査によって判明しており、子孫の方々と政宗公の肖像画や遺骨の身体的特徴が一致する点が多いんです。現代の科学技術が政宗公とご子孫の方々とをつなぐ接点になっているなんて、歴史のロマンを感じさせますね。

まとめ

伊達政宗の死因は、当時の記録から食道がんなどの内臓疾患であった可能性が極めて高いことがわかりました。戦国時代、天下取りのライバルとしてしのぎを削った豊臣秀吉 死因が胃がんなどの内臓疾患で亡くなったとされている点からも、2人の間の奇妙な縁を感じます。江戸屋敷で家光に見守られながら70歳の天寿を全うした伊達政宗は、まさに戦国最後の巨星と呼ぶにふさわしい最期でした。そしてその血脈は、34代目当主をはじめとする子孫たちによって現代にもしっかりと受け継がれています。

今回、伊達政宗を深堀しましたが、歴史的背景を知ると、今の仙台や東京の風景が少し違って見えるかもしれませんね。この機会に伊達政宗が眠る仙台・瑞鳳殿へ足を運んでみてはいかがでしょうか?

この記事を書いた人

はじめまして、れいと申します。
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