岡崎愛子・パラアーチェリー・事故とは?再起のきっかけは?経歴も!

東京パラリンピックアーチェリー岡崎愛子選手 スポーツ

東京2020パラリンピックが始まりました。

岡崎愛子さんは、アーチェリーで出場します。
とっても綺麗で聡明な感じが印象に残る人ですね。

今回は、岡崎愛子さんが遭った事故とは?再起のきっかけは?と今までの経歴についてお伝えします。

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岡崎愛子・パラアーチェリー|事故とは?

 

2005年4月。大学通学のために乗っていたJR福知山線の先頭車両で脱線事故に巻き込まれました。
同志社大学2年生、19歳の時でした。

【JR福知山線脱線事故とは?】 
2005年4月25日朝、兵庫県尼崎市で、JR福知山線上り快速列車が尼崎駅手前のカーブに制限速度を超過して進入。1~5両目が脱線し、1、2両目が線路脇のマンションに衝突した。乗客106人と運転士が死亡、乗客562人が負傷した。

 


岡崎愛子選手は 頸髄(けいずい)を損傷して 生死の境をさまよい、首から下に重い障害を負い、被害者で最長の377日の入院をしました。
それほど酷い状態だったのです。
今でも、肺活量は一般女性の半分しかなく、指や体幹の筋力は、ほとんどありません。

 

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岡崎愛子・パラアーチェリー|再起のきっかけは?

きっかけは、 岡崎愛子選手のお母さんが大学時代にアーチェリーをやっておられて、勧められたそうです。


岡崎愛子選手 の障害のレベルはw1、一番重い障がいです。

東京2020パラリンピック障害のランク表
引用元:パラサポWEB

w1のレベルでもできそうなものが、アーチェリーと射撃でした。
それで、 岡崎愛子選手はアーチェリーを選びました。

そして、更に2013年の秋に東京オリンピック・パラリンピックの開催が決定したことも岡崎愛子選手 の背中を押しました。

そのときは、アーチェリーを始めたばかりでしたが、“パラリンピックに出たい”と思い始めた岡崎愛子選手でした。

 

パラアーチェリーは、どのようにして競う競技 ?

50m先の80cmの的を狙う
的の中心が10点で、外に行くにつれて9点、8点……ってなっている。
矢が的に当たったときの位置で点数が決まり、その合計点で競う。
また、使っている弓とクラスによって、的までの距離や的の大きさが違う。

岡崎愛子選 曰く

80cmの的の中心部分が8cmなのですが、大体Suica(ICカード乗車券)の幅が8cmなんです。だから、渋谷109の屋上にあるSuicaを狙うようなイメージですね。

引用元:マイナビニュース

 

岡崎愛子選手は、握力もなくて体幹もほぼなかったので、まず、どうやって弓を持って弦を引くか、というところから始まり、実際に矢を前に飛ばせて、ちゃんとアーチェリーとして形になるまでに3年かかりました。

公私共に支えてくれた人

アーチェリーの画像

 

アーチェリーをするには、以下の作業が必要でした。

 
  1. スタンス(足がまえ)
  2. セット(胴構え)
  3. ノッキング(矢つがえ)
  4. セットアップ(打ちおこし)
  5. ドローイング(引き分け)
  6. フルドロー(会)
  7. リリース(矢ばなれ)
  8. フォロースルー(残身)
  9. 的に当たった矢を引き抜く

体幹を鍛え、矢を放った後の体制を整えられる様になったものの、3と9は、障害のある岡田愛子選手ひとりではできないのです。

ご両親が上京してくれた時は、アーチェリーの練習を手伝ってもらうことができましたが、頻繁に上京して手伝うわけにもいかず、アーチェリーの練習は数ヶ月に1回という頻度でした。

れい
れい

そんな時に、ステキな出会いがあります♡


アーチェリーの介助を務めてくれる人が現れたのです!
その人は、公私ともに、岡崎愛子選手のパートナーとして、支えてくれる堀雄太さんとの出会いです。

この方のおかげで、これまで数か月に1回の練習が週に3、4回、練習できるようになり、成績が急上昇しました。

引用元:NHK2020東京パラリンピック

堀雄太さんご自身も義足で生活する方です。
小学4年生の時、骨腫瘍のため右足を切断し、義足で生活しておられますが、かつてシッティングバレーをされてたことがあります。

シッティングバレーとは、床に臀部(でんぶ)の一部が接触した状態でプレーするチーム競技。
1チームは6人で編成し、一般のバレーボールよりもネットの高さを低くし、狭いコートで行うスポーツです。

引用元:NHK2020東京パラリンピック

 

優しそうな方ですね。

そして、2019年の世界選手権で3位になり、東京2020パラリンピック出場の切符を手にしました。
本格的に競技を始めてわずか3年の間に勝ち取った栄光です。

堀さんは、東京パラリンピックに岡崎愛子選手が出場することをこのように語られています。

「東京パラリンピックに出る」と話す岡崎に「こんな人がアーチェリーをやりたいというのなら、結構おもしろいことになるのでは」と憧れていた東京への夢を、今度は彼女と一緒に見ることができるのでは……と感じた。

引用元:AERA

 

岡崎愛子選手の自叙伝

JR福知山線脱線事故で重傷を負った後、自分らしく生きると決めて走り続けた10年を綴った感動のノンフィクションです。

岡崎愛子選手はこのように話します。

事故にあってよかったとは言わないですけど、でもこれまでの15年、積み重ねてきたものがあって人との出会いであったり、全て自分の糧になっているので、自分にできることをしっかりやって、来年の東京パラでは見に来てよかったと思ってもらえるようなおもしろい試合がしたい」。

 

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岡崎愛子・パラアーチェリー|経歴

 
 
 
 
 
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岡崎愛子選手は、1986年1月10日大阪府池田市で生まれます。

子供の頃から体を動かすことがとても大好きでした。
小学生時代ではテニス、中学時代ではソフトボールを。
高校に進学すると、自宅で飼っている愛犬と一緒にフリスビードッグの競技を始めました。

犬がどのくらいの距離でどのようにキャッチできるかを競うスポーツです。



ご自身のInstagramに愛犬ダイナの画像も。この子の他にも2頭飼っていて、事故の後には岡崎愛子選手を支えてくれたそうです。

 
 
 
 
 
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2004年、同志社大学商学部入学。
2005年、JR福知山線の脱線事故で頸髄を損傷し約1年の入院生活を送る。
2008年卒業、ソニー株式会社に入社。
2014年退社し、企業や学校での講演活動や犬のケアに関する仕事を開始。
現在はアーチェリーに専念する。


岡崎愛子選手は、すべてを事故に奪われたくない、絶対就職してやる、と思い、障がい者を雇用している会社のなかでも、ソニーは「配慮はするけど特別扱いはしない」という社風があって、そんな環境のなかで挑戦してみたいと思い、面接を受けてみごと採用されました。

かわせみさん
かわせみさん

障がい者を雇用する会社とはいえ、ソニーに採用されるなんて、凄いよね

れい
れい

素晴らしい頑張り屋さんね!

主な戦績

【2019年】
・第43回のじぎく杯アーチェリー大会W1女子2位
・パラアーチェリー世界選手権大会(スヘルトーヘンボス、オランダ) (W1女子9位、W1ミックス3位)
第29回交流アーチェリー大会(W1女子1位)
ミックス戦(W1)3位

【2020年】
パラアーチェリー世界ランキングトーナメント(ドバイ、アラブ首長国連邦)(W1女子1位)

開催日は以下の通りです。

東京パラリンピック・アーチェリーの開催日

2021.08.27(金) ~ 2021.09.04.(土)

 

 

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岡崎愛子・パラアーチェリー|まとめ

以上、パラアーチェリー岡崎愛子選手についてお伝えしました。

岡崎愛子選手は、事故に遭った過去ばかりを注目されたくはない。「せっかく東京パラに出るんだから、選手として見てもらいたい」と話しています。

壮絶な事故からの生還、そして、数々の苦難を乗り越え、現在東京パラリンピックアーチェリー選手として表彰台を目指します。

16年にもわたる努力を讃え、今回の晴れ舞台を心から応援します!

「東京2020表彰式の花束に込められた思いとは?」はこちらからご覧ください。

 

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