【20歳のソウル】映画が2022年5月27日(金)全国公開です。
千葉県船橋市立船橋高校(以下「市船」)で代々受け継がれている「市船soul」という応援曲を作曲し、がんにより20歳という若さで短い人生の幕を閉じた浅野大義さんの実話『20歳のソウル (著:中井由梨子/小学館)を映画化された作品です。
彼の告別式には、164名の仲間たちが参列、出棺の際に「市船 soul」を大義さんへの想いを込めて演奏されました。
今回は、映画【20歳のソウル】原作小説のあらすじネタバレと結末感想!浅野大義の感涙実話に号泣必須、と題してご紹介しますので、是非最後までご覧ください。
- 「市船soul」とは?
- 小説【20歳のソウル】の主な登場人物
- 小説【20歳のソウル】のあらすじとネタバレ
- 小説小説【20歳のソウル】感想評価
- 映画【20歳のソウル】の見どころ
- 映画【20歳のソウル】の作品情報
「市船 soul」とは?
「市船 soul」ってどんな曲?と思われますよね
こちらが実際の「市船soul」です。
ドラムの早いリズムと軽快なリズムが頑張る選手たちの背中を押します。
市船の野球部は甲子出場を何度も決め、他にもインターハイ常連と言われる部活が多数存在するスポーツ強豪校です。
有名な人では、水泳の鈴木大地さん、ペナルティのワッキーさんとヒデさんがサッカー部で、名だたるJリーガーを輩出しているサッカー強豪校でもあります。
これだけ運動部が強豪校なら応援にも力が入りますよね。
そこで欠かせないのが吹奏楽部です!
市船はこの吹奏楽部も全国大会で活躍する強豪校です。
そこで大義さんが作曲した「市船 soul」が生まれました!
小説【20歳のソウル】の主な登場人物
【浅野大義】
音楽と仲間を愛し、多くの人に愛を贈り、20歳の生涯を閉じた青年。
告別式には700人が参列、164人の仲間が一日限りのブラスバンドで天国へ送り出した。
【浅野桂子】
大義さんの傍らで笑顔で支え続けた、明るく気丈なお母さん。(実在)
【高橋健一先生】
市船の吹奏楽部顧問で大義さんが恩師として尊敬し、大義さんの人生に大きく影響を与えた、実在の先生。
大義さんの告別式にかつての仲間達に声をかけて、「市船soul」の曲で送り出すことを実現させます。
【宮田愛来】
大義さんの恋人。
今でも実在する人なので映画では名前を変えてあります。
大義さんのお母さんと共に最後まで大義に寄り添い、支えたやさしい人。
【木村さん】
葬儀社の人。大義さんの担当者。
164人の演奏会を告別式会場で出来るように尽力をして下さった人。
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小説【20歳のソウル】のあらすじとネタバレ
原作者の中井由梨子さんが大義さんの事を知ったのは、2017年7月の朝日新聞の記事でした。
その記事には、彼の告別式に164名の仲間たちが流れる涙を拭いもせず楽器を吹き続けるブラスバンドの姿がありました。
こんなふうに大勢の仲間に音楽で見送られる20歳の青年は、どんな人生を送ったのか、知りたい、と思われたのでした。
中井由梨子さんは、大義さんを亡くされてお心を痛めておられる御親族に会われる前に、恩師である高橋健一先生にコンタクトを取られました。
その後、高橋健一先生を通して大義さんのお母さん、大義さんの恋人、仲間の人達に何度も何度も会われてお話を聞かれ、大義さんがおられた船橋市は勿論、長野県や北海道まで行かれて、1年がかりで大義さんの軌跡をたどり【20歳のソウル】は生まれました。
小説では、大義さんの告別式前から学生の頃を行き来しますが、こちらでは詳細なあらすじは控え、物語の中核となる、おおまかなところをご紹介します。
あらすじ①祖父の家で眠る大義さん
物語は、2017年1月16日、大義さんの告別式5日前から始まります。
1月という月は1年で一番亡くなる人が多い月らしい。
火葬場が1週間空いてないということで、葬儀も1週間延びることに。
たいてい、そんな場合は葬儀社の霊安室に安置されるのですが、大義さんは長い闘病生活で最期は病室の天井しか見ることができず、長い孤独に耐えました。
最後の1週間は家族のもとで過ごさせてやりたいと言う母、桂子さんの要望に葬儀社の担当の木村さんは快く受け入れてくれました。
その1週間、大義さんは祖父の家で家族と共に寝食を共に過ごすことに。
その間、暖房の効いた部屋で大義さんの体が傷まないように、木村さんは毎日来訪して大量のドライアイスを丁寧に大義さんに当ててくれました。
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あらすじ②恩師高橋健一先生の提案
大義さんの船橋市立船橋高等学校(以下「市船」)の吹奏楽部の恩師の高橋健一先生が大義さんが亡くなった翌日に仲間たちに長文のLINE送りました。
その文面には、大義さんの告別式にみんなで演奏して送り出そう、というもので最後には、
「どうか、大義のために集まってほしい。仕事、バイト、学校、万難を排して来て欲しい」
とありました。
そして、告別式当日には、なんと164名もの仲間たちが集まり、前代未聞の演奏会、一日限りのブラスバンドが開催されることになります。
あらすじ➂大義さんと音楽との出会い
大義さんが音楽と出会ったのは5歳の時。
お母さんの桂子さんはたくましい男の子になってほしいと剣道を習わせたいと思いますが、大義さんはその気がなく、いざ教室に入ってみると剣道の先生を見て、涙をぽろぽろとこぼして泣き出す始末。
仕方なく帰ろうとしたら剣道の教室の前にピアノ教室からあり、剣道がだめでも何か習い事をさせたいと思ったお母さんは、なにげなく大義さんに聞くと「ピアノにする」と言います。
翌週から嬉々としてピアノ教室に通う大義さん。
家にアップライトピアノが届いてからの大義さんは小さな背中を揺らして、音楽に没頭しました。
あらすじ④2011年高校1年生
画像引用:ファッションプレス
大義さんは、小学校も中学校も吹奏楽部で音楽を楽しみます。
千葉県は全国でも特に高校の部活動が盛んな県で、運動部は勿論吹奏楽部も全国レベルの高い高校が多い所です。
大義さんは、習志野高校を受験しますが落ちてしまい、船橋市立船橋高等学校へ入学することに。
ここで、高橋健一先生と運命的な出会いをします。
高校でも吹奏楽部に所属する浅野大義さん。
担当はトロンボーン。
高橋健一先生の「音楽は人間関係だ」の教えを心に置き、いつも笑顔を絶やさず、周りの人に気を配りました。
いつの間にかそんな大義さんを皆は「ムードメーカー」と呼ぶようになり、高橋健一先生と仲間たちの絆は深まって行きました。
心身共に成長して大義さんは高校生活を満喫します。
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あらすじ➄2013年「市船soul」誕生
高校3年生になった大義さんのトロンボーンの腕前は驚くほど上達していました。
大義さんは、作曲の難しさに葛藤しながらも高橋先生らに支えられつつ「市船 soul」を作曲します。
母校に残していく大義さんの足跡です。
試合の時には吹奏楽部の皆で力強い「市船 soul」は選手たちの背中を押します。
すると、たちまち得点を呼ぶ「神応援曲」と呼ばれる様になりました。
そうして市船での3年間が終わり、大義さんは尚美学園作曲専攻へ進みます。
あらすじ⑥2015年夏・宮田愛来との出会い
画像引用:クランクイン
大学生になった大義さんは、高校の時の吹奏楽部の部長ユナさんの紹介で、ある高校の吹奏楽部に指導に行き、愛来さんと出逢い、ほどなく交際が始まります。
青く、初々しい、どこにでもある普通に起こりうる、小さな出逢い。
その「普通」がどれほど尊いことか。
そこには、高橋健一先生のような音楽の先生になって、作曲もしたい、沢山の夢で胸を膨らます普通の大学生の大義さんがいました。
あらすじ⑦2015年普通が引き裂かれた日
画像引用:ナタリー
大義さんから、その普通がなくなったのは2015年10月1日。
体調を崩した大義さんは、千葉大学で肺がんと診断されます。
そこから、何度もの手術と抗がん剤治療、入退院を繰り返し、2016年に一度は癌が小さくなるものの、退院後大学に復学しようとする矢先に転移が見つかりまた手術をすることになります。
大義さんと愛来さんの恋は、大義さんの病気と共に深まり、愛来さんは、大義さんにずっと優しく寄り添います。
しかし、闘っても闘っても病魔は大義さんから離れることはありませんでした。
無事に手術を終え7月も終わろうとしていたある日、大義さんは愛来さんの将来を考えて別れを告げます。
愛来さんにも生活がある、夢もある、これ以上愛来さんに負担をかけてはいけない、大義さんが精一杯考えて出した結論でした。
その後、小康状態を保っている大義さんを、高橋健一先生は市船の野球部応援に千葉マリンスタジアムへ誘います。
最前列でトロンボーンを構えて立ち、仲間と演奏する大義さん。
夢のような瞬間です。
ドラムが速いスピードで打ち鳴らされ、観客席から歓声が起こります。
後輩たちと奏でる「市船soul」。
大義さんは生きている実感をかみしめます。
「俺の音楽よ、みんなの背中を押せ!」
割れんばかりの歓声に包まれるスタンド。
大義さんも大声で叫びます。
「生きている。ここのスタンドに俺は生きている!」
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あらすじ⑧2度目の手術
夏が終わるころ、再び大義さんを再び病魔が襲います。
9月7日に2度目の脳の手術を受けることに。
一人で耐えることにも限界が来ていた大義さんは同級生のユナさんに電話をします。
手術の前日、「大義」と呼ばれて目を開けると愛来さんがいました。
ユナさんが愛来さんに知らせてくれたのでした。
愛来さんは大義さんの手を取り「離れないよ」と言いました。
手術は成功し、放射線治療も終え大義さんは11月に退院します。
あらすじ⑨大義さんの最期
しかし、12月になり、また肺の腫瘍再発と骨髄への転移…。
癌は大義さんの体をこれでもか、これでもか、と痛めつけます。
主治医からは「これが最後の入院だと思ってください」と告げられます。
どうしても市船の定期演奏会に行きたい大義さんは、家族と愛来さんに付き添われ車いすに乗って出かけます。
片方の目と耳はもはや機能を果たしておらず、目は開けることもできず、痩せ細った大義さんを見て皆は一瞬驚きますが、
「大義!」
「大義先輩」
「待ってたよ」
と温かい仲間と高橋健一先生の歓迎を受けます。
気が付けば3時間の演奏会を聴くことができ、これはその時の大義さんの体調からすると奇跡でした。
終演後、ロビーに出ると高橋健一先生が大股で近づいて来て、いつものように大きな声で「来年のマーチングの曲を任したい」と言って大義さんを励まします。
大義さんの手を取る高橋健一先生の目が潤みます。
大義さんは嬉しかった。
「あと少しだけ、少しでいいから時間が欲しい」と切実に思うのでした。
演奏会が終わると、安心したように大義さんの体は急速に悪化の一途をたどって行きました。
そして、2017年1月12日。
大義さんはやっと苦しみから解放されます。有り余る若さと引き換えに。
あらすじ⑩一日限りのブラスバンド決定
2017年1月20日。
大義さんのお母さんは、葬儀社の木村さんから告別式の演奏会の連絡を受けます。
「演奏者は総勢164名。全員お引き受けします」。
住宅街にある葬儀社の、広くない会場で164名が演奏をすることはとても大変なことです。
木村さんは、1週間浅野家に通い、日増しに憔悴する母、桂子さんを見て少しでもその気持ちが軽くなる葬儀をしてあげたいと思うのですが、でも…どう考えても150人は無理でした。
前日の夜に木村さんは、せめて20人ほどの編成をと、お願いするために市船を訪ねていたのでした。
そこで、高橋健一先生と仲間たちが「大義が死んだ」という事実を受け止めようとしている真剣な姿を見て、何も知らない自分が壊してはならないと思い、告別式の一日限りのブラスバンドを全面的に協力する決意をします。
「できることは何でもやります。よろしくお願いします。」と。
高橋健一先生も深々と頭を下げ感謝しました。
葬儀進行に大事なのは滞りなくすべてを終了させること。失敗は絶対に許されない。
木村さんは心を引き締めるのでした。
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あらすじ⑪2017年1月21日大義さんの告別式
こちらの写真は、実際に告別式での演奏会を大義さんのお祖父さんが撮影されました。
画像引用:朝日新聞
火葬場が空いてない為に葬儀が1週間延びたことは、日に日に憔悴する母、桂子さんがしっかり立って式場へ行けるようになるまでの貴重な時間でした。
昼過ぎに寝台車が浅野家に到着。
先に大義さんのお父さんとお祖父さんが乗り込み、木村さんは運転手に「市船に行くように」指示します。
前夜、高橋健一先生との約束でした。
大義さんを乗せた寝台車は市船の校庭をゆっくりと1周します。
職員室のベランダには横断幕がかかっています。
「浅野大義君 市船soulは永遠だ。船橋市立船橋高等学校」
校舎前に高橋健一先生はじめ数人の先生が立っていました。
木村さんは横断幕を引き取り、式場に飾ることを提案します。
大義さんを乗せた寝台車はゆっくりと市船を出て行きます。
当日は700人の弔問客が大義さんを見送るために集まり、その列は最寄りの三咲駅前まで続きました。
その誰もが「大義さんにお世話になった」「大義さんは恩人」と言われ、驚くご家族たちです。
その中に、松本第一高校吹奏楽部の野村先生が、大義さんとの出会いを話してくれました。
2014年の夏、松本第一高校吹奏楽部で問題が起こったことを聞いた大義さんが、前日の高速バスで松本に駆けつけ、部員たちに体を張って「楽しむ」ことを伝えて励ましてくれたと。
母、桂子さんは、「それは、本当に大義なんですか?」と聞きたくなるほどでした。
木村さんが用意してくださった寄せ書きにも長い列ができ、大義さんにあててびっしりとメッセージが書き込まれて行きました。
それほど多くの人に愛を贈り、又、感謝される大義さんでした。
午前11時50分葬儀が終わり、いよいよ大義さんのための演奏会、一日限りのブラスバンドが始まります。
スタッフ総出で会場のイスを撤去し、弔問客をロビーへと案内します。
吹奏楽部164名。高橋健一先生が高台に上がり指揮棒を振りました。
先生の指揮も皆の音もしっかりして、頬を伝って流れる涙を拭う暇もなく皆は吹き続け、最後の一音まで丁寧に歌い続けました。
ロビーにいた弔問客も静かに耳を澄まします。
曲の間の「攻めろ、守れ、決めろ、市船」の掛け声の代わりに大義さんの名を仲間たちは叫びます。
「大義、大義、大義!」
これまで、仲間の背中を押し続けてきた「市船 soul」が、大義さんを天国へと送り出したのでした。
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あらすじ⑫終章2017年7月12日
母、桂子さんは甲子園をかけた千葉大会予選の応援に駆け付けました。
野球の応援スタンドでの演奏を一度も聴いたことがない桂子さんは、もしかしたら、「市船soul」が演奏されるかもしれないと思ったのでした。
野球の応援曲の多さに驚く桂子さん。曲が違えばダンスの振り付けも違い、チアリーディング部も野球部も吹奏楽部も数多いレパートリーをこなしながら選手の背中を押します。
2回裏で市船が2点を先制した時、「ソウル」と叫ぶ部員たちの声。
大義さんが作った、市船soulの早いリズムのドラムが打ち鳴らされ、力強い大太鼓の音、スタンドから歓声が上がりました。
胸がぐっと熱くなった、母、桂子さんは分かりました。
大義はここにいる。このスタンドに、この音の中に。マウンドを走る選手たちの巻き起こす風の中に。
何一つ失っていない、大義は生きている
終わり。
小説【20歳のソウル】の感想評価
これは、外では絶対に読めない物語です。
「涙腺崩壊」「電車では読んではいけない本」として話題にもなりましたよ。
【20歳のソウル】というタイトルも内容も、とてもリアリティで切実に訴えかけてくるものがあります、それは実話だからなのですね。
「将来は音楽の先生になって、色々作曲し、吹劇を作りたい。時々高橋健一先生に教えを乞いに市船を訪ねよう。」
大義さんの夢はどこまでも広がっていたのに、若い大義さんの体を癌は容赦なく蝕み、志半ばにして帰らぬ人となり、読んでいて言葉に言い尽くせない悲しみと辛さが押し寄せました。
子どもを持つ同じ母として、もし我が子が大義さんと同じ状態になったらと思うとそれだけで胸が詰まり涙が溢れました。
でも、読み進める内に大義さんが多くの人達に愛し愛され、力強く、精一杯生きたことは、ただ悲しいだけでなく、清々しさと心に温かいものを感じました。
諦めないで、勇気を出して生きて行こう!と心から思えました!
本を読まれると映画が2倍楽しめますよ。
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【20歳のソウル】映画の見どころ
主演を演じたのは、『彼女が好きなものは』(2021)『HiGH & LOW THE WORST』(2019)など人気作に多数出演する神尾楓珠(かみおふうじゅ)さん。
神尾さんは浅野大義さんが実際に吹奏楽部で担当していたトロンボーン、そしてピアノ演奏に初挑戦。
劇中では、「jasmine」という、大義さんが作曲されたもうひとつの名曲も演奏されるそうです。
また、市船で参加した「よさこい祭り」では、全長5mの大旗を振り全速力で駆け抜ける旗士という大変なシーンもこなしました。
こちらが2013年に実際に大義さんが北海道のYOSAKOI祭りで大旗をはためかせている雄姿です。ご覧ください。
迫力ありますよ!
そんな大義さんになりきる神尾楓珠さんならではの演技を期待します。
そして、母、桂子さんと共に大義さんに寄り添い、最後まで見守る恋人、宮田夏月役を演じるのは福本莉子さん。
彼女は、告別式の演奏会にも参加します。
ふたりの恋は大義さんの発病と同時に深まります。
短すぎるふたりの恋の輝く瞬間も見どころとなります。
撮影場所となったロケ地も、大義さんが過ごした市船を中心に船橋市のあらゆる場所で行われました。
そして、中井由梨子さんが「『20歳のソウル 」で書ききれなかったエピソードも取り入れられます。
【20歳のソウル】映画の作品情報
作品タイトル | 『20歳のソウル』 |
全国公開 | 2022年5月27日(金) |
主演 | 神尾楓珠 |
監督 | 秋山 純 |
脚本 | 中井由梨子 |
主題歌 | Kenta Daichiの「Jasmine」 |
原作 | 中井由梨子 ・「20歳のソウル 奇跡の告別式、一日だけのブラスバンド」(小学館 刊) ・「20歳のソウル」(幻冬舎文庫) |
制作プロダクション | プロジェクトドーン |
配給 | 日活 |
公式サイト | https://20soul-movie.jp/ |
まとめ
以上、映画【20歳のソウル】原作小説のあらすじネタバレと結末感想!浅野大義の感涙実話に号泣必須と題してご紹介しました。
20歳という人生を多くの人に愛を贈り、また贈られ、駆け抜けた大義さんの人生。
その旅立ちの日の仲間164人からの真心の音楽は悲しみではなく、感謝と祈りに満ちていました。
浅野大義さんの短くも輝かしい人生が伝わる作品【映画20歳のソウル】は、
こちらに【20歳のソウル】関連の記事を書きましたので、併せてご覧ください。
【20歳のソウルキャスト相関図】佐野晶哉・福本莉子ほか16人を21枚の写真で紹介
【20歳のソウル】映画の撮影場所となったロケ地8カ所を18枚の写真と地図で紹介
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
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