NHK大河ドラマ 『光る君へ』で、吉高由里子さんが演じる主人公・紫式部の本名をご存知でしょうか?作品の中では「まひろ」と呼ばれていますが、名前に関するさまざまな説があるようですね。
そこで今回は、紫式部の本名や「性格はネガティブで仕事嫌い?」について調査しましたので、皆さんにご紹介していきます。
紫式部の本名は?
紫式部の本名についての内容は、以下のとおりです。
- 紫式部の本名は不明
- 「まひろ」は本名ではない
- 紫式部の本名は「藤原香子」説
大河ドラマで「まひろ」と呼ばれていた、紫式部の本名について紹介しましょう。
紫式部の本名は不明
紫式部の本名は、記録に残っていないため不明です。平安時代の日本では本名を神聖視しており、「諱・いみな」は親しい人や特別な場面だけで使用していました。宮廷に仕える女性は、女房名や役職名で呼ばれ、実名が公に知られることは殆どなかったとされています。
紫式部の名前の由来は、以下のとおりです。
- 父親・藤原為時が官職「式部丞」だったので「式部」の部分を取った
- 紫式部が『源氏物語』の登場人物「紫の上」をモデルにしていた
さまざまな説が存在する紫式部の本名は、確実ではないため謎に包まれています。
「まひろ」は本名ではない
NHK大河ドラマ 『光る君へ』で、紫式部は「まひろ」と呼ばれていましたが、本名ではありません。「まひろ」は実際の歴史には存在しない創作名であり、ドラマ制作の過程で紫式部の人物像や個性を鮮明に描くために選ばれました。
「まひろ」は紫式部の本名や歴史的な証拠に基づいたものではなく、フィクションの世界における設定と言えるでしょう。
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紫式部の本名は「藤原香子」説
紫式部の本名は「藤原香子」の説があり、読み方は以下の4つが考えられます。
- かおるこ
- たかこ
- こうし
- よしこ
歴史学者・角田文衞の提唱した説として、『御堂関白記』の寛弘4年1月29日の条に、藤原香子が掌侍になったとの記載があるようです。
「藤原香子」説は仮定や推論が多く、紫式部が掌侍という地位を得た根拠がないため、認定されていません。推測の域を出なかったので、歴史学者からは否定的な見解が示されました。
紫式部の性格はネガティブで仕事嫌い?
紫式部の性格について、気になりませんか?『源氏物語』の作者である、紫式部の内面を探ってみましょう。「友人が少なくて陰のある性格だった」や「宮廷出仕に抵抗があった」について紹介します。
友人が少なくて陰のある性格だった
友人が少なくて陰のある性格だった紫式部は、宮廷で働いていました。職場では紫式部の『源氏物語』が一定の知名度を誇っていたことにより、周囲からの印象が悪かったようです。人間関係を改善するため、周囲の人に手紙を書きますが相手にされず、実家へ帰ったとされています。
紫式部は実家で5か月間1人で執筆活動に励み、再び宮廷に姿を現したようです。人間関係に悩んでいましたが、頭が悪いように見せかけて周囲からの印象を良いものに変えて乗り越えます。紫式部は宮廷で働くよりも、1人で作品を書く方が幸せだったようです。
宮廷出仕に抵抗があった
紫式部は、宮廷出仕に抵抗があったようですが「女房」として仕方なく働いていました。宮廷で働くことが本業であり、小説の執筆は副業のようなものだったと言えます。紫式部は宮廷で働く前から趣味で書いていた『源氏物語』が世間で評判になり、後世に残る名作を誕生させました。
『源氏物語』の影響で有名になった紫式部は、父親の藤原為時や周囲の斡旋により、嫌々宮廷へ赴くことになったようです。直前に夫の藤原宣孝を亡くしていたので、悲しみを紛らわすことを理由に無理やり引っ張り出されたと推測できます。
まとめ
今回の記事では、紫式部の本名を中心に「性格はネガティブで仕事嫌い?」についてご紹介させて頂きましたがいかがでしたでしょうか?
紫式部の本名は、不明であることに驚きましたが「まひろ」は創作名だったようですね。ネガティブで仕事が嫌いな紫式部の一面を理解したうえで、NHK大河ドラマ 『光る君へ』の視聴を楽しみましょう!