NHK大河ドラマ『光る君へ』の主人公は、紫式部であり、吉高由里子さんが務めたことをご存知でしょうか?紫式部の夫・藤原宣孝はコミュニケーション能力が高いこともあり、女性からモテたようですね。
そこで今回は「紫式部の夫や子供・年齢差」や、娘の病気・歴史的背景について調査しましたので、皆さんにご紹介していきます。
紫式部の夫や子供・年齢差について
紫式部の夫や子供・年齢差の内容は、以下のとおりです。
- 紫式部の夫との子供や年齢差
- 紫式部の夫はプレイボーイ
- 紫式部の夫が急死
夫や子供について知ることにより、紫式部の人生を探ってみましょう。
紫式部の夫との子供や年齢差
紫式部の夫との子供は1人娘である賢子であり、長保元年に誕生したとされています。紫式部と夫の年齢差は20以上であり、父と娘ほどの年の差婚でした。紫式部が結婚したのは20代後半頃で、50歳を目前にした貴族の藤原宣孝と結婚しています。
新婚早々に紫式部が宣孝に宛てた手紙を他人に見せたことで、夫婦間の大喧嘩に発展。宣孝が折れたことで仲直りをしたというエピソードがあるようです。
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紫式部の夫はプレイボーイ
紫式部の夫はプレイボーイで婚姻歴があり、先妻との間に子供もいたとされています。紫式部は夫の性格を理解したうえで結婚したと推測できますが、藤原宣孝が自分のもとに通う頻度が減ると浮気を疑ったようです。
紫式部は手紙による夫婦喧嘩で、罵り合って2人の仲を絶つのは構わないが、宣孝が怒っても怖くないことを主張。紫式部の堂々とした態度が宣孝は苦手であり、2人の関係は不仲だった可能性があります。
紫式部の夫が急死
藤原宣孝は長保3年4月に49歳で急死しており、紫式部は当時30歳前後で未亡人になりました。宣孝は同年2月に藤原道長から呼び出しを受け、所用を命じられますが「痔病」を理由に断っています。
痔で急死することは考えられないため、宣孝の死因は疫病によるものでしょう。理由としては、宣孝が急死する前年から疫病が流行しており、朝廷で祈祷を行なったが効果はなかったとされています。
娘の病気について
夫の藤原宣孝を亡くした紫式部の側で、まだ幼い娘の賢子が病気で苦しんでいました。賢子の病気平癒のために、宮廷で働く女性たちは竹を瓶に挿して祈りを捧げていたようです。
紫式部が夫を亡くして間もないときに、口説いてくる男性も現れましたが断固拒否。人生や人間の儚さを感じつつ、娘である賢子の教育に注力したと推測できます。
紫式部の歴史的背景
紫式部の歴史的背景は平安時代で女官として生き、多くの和歌を残したようです。平安時代以前の日本は、中国から政治体制や文化などの影響を受け、遣隋使や遣唐使を派遣していました。当時の技術が未発達で船旅は険しく、命を落とすリスクが高かったようです。
中国が衰退したことで留学生の派遣を中止し、影響されなくなったので日本独自の発展を遂げます。貴族文化についても中国の影響を受け、漢文や漢詩から日本独自のひら仮名を用いるようになりました。結果的に女流文化が発展し、紫式部は時代を生き抜いたと言えるでしょう。
まとめ
今回の記事では、紫式部の夫や子供・年齢差を中心に、娘の病気・歴史的背景についてご紹介させて頂きましたがいかがでしたでしょうか?
夫の藤原宣孝が急死していたことに驚きましたが、紫式部は人生や人間の儚さを感じながらも懸命に生き抜いたようですね。紫式部の夫についての情報を参考に、大河ドラマ『光る君へ』を視聴してみましょう!